『無門』に期待する
田畑隆一郎
(茨城県北茨城市 たばた関本薬局)

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光芒が照らす闇は暗ければ暗いほど良い。

すべての事物は常に変化し、発展しとどまる所を知らない。これは世の常であり、法則である。漢方の世界とてその例外ではない。 ひと頃は冬の時代かと懸念された漢方界は今じゃ飛ぶ鳥を落す勢いの上昇気流に乗ったかに見えないこともない。曰く日本医学会加入の分科会、曰くE・B・M、曰く代替医療、曰く未病を治す。巷の本屋にはハウツウ漢方書の氾濫。漢方製剤は整然とエキス化、錠剤化されてまことに便利この上もなく、昔のように手間ひまかけてゴトゴトと煎じる方法は一部の好事家に限られようというご時勢になりつつあるのが現実である。加えて効けば良い方式の気質に代って八綱弁証で理論武装した中医漢方の台頭。

こんな時こそあしもとをよく見て歩まねばならない。脚下照覧こそ次の時代への大きなエネルギーとなることを忘れてはならない。

日本の伝統漢方は江戸時代の先哲による血のにじむような試行錯誤のくり返しによって完成し現在の吾々に大きな恩恵を与えているのである。基本は『傷寒論』『金匱要略』である。いまどこで、どれだけのグループがこの二書に真剣に取り組んでいるだろうか。よしんばあったとしてもこれらの古医書の中から法則性をつかみ取り、それを生かした臨床への拡大応用、新処方の開発、とりわけ東洋医学が説く生活の知恵等等がどれだけ実行に移されているだろうか。

漢方薬は天然資源なくしては絶対に成り立たない。故に先哲漢方医家は自ら自分の足で山中に踏み入って薬草を噛みしめて、生薬の選品についてもそれぞれに一家言を持っていた。

…中略…

さて、現在吾々が用いている漢方処方の構成や生薬相互間の作用等について充分な論議がなされているであろうか。私は度々生薬の有効成分からこの問題に取り組んだが、得るものは少しもなかった。結論から言えば個々の生薬の性質をよくつかみ、更にその生薬と最も組み易い他の生薬とによって生じた薬効を症候と結びつけて症候の集合体である『証』の解明に辿りついたのである。簡明直截な『傷寒論』の証と薬方ではこの作業は実にやり易い。傷寒論の後の時代に著わされたと考えられる『金匱要略』やずっと後の時代に成立した後世方の解明にも傷寒論で用いた原理・原則を応用するとすらすらと謎がとけてくる。この意味から言ってもやはり傷寒論は原典であるとの感を深くしている。

『無門』の発刊に期待して思いつくことを述べてみた。後になって気がついてみるとこれは「温成治病十五訓」であった。 最後になったが、人の苦しみを救うのは薬でも器械でもなく人そのものである。人と自然に最も密着した治療法、漢方のすぐれた使い手となる方法は唯一つ日常寝ても醒めても常に傷寒論を頭に置くことである。それ以外の方法は何もない。『無門』が一隅を照らす永遠の光であることを。

『無門』創刊号(2004.4.5)より

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