常州の秘方こぼれ話(第四話)
齊藤匡男
(茨城県日立市 さいとう薬局)

HOME > 無門 > 常州の秘方こぼれ話(第四話)

私が、幼少の頃、微かに残る記憶ではあるが常磐線の列車の窓越しに眺めた遠い昔のあの白い水戸城三階櫓と城塀は明治五年の火災で残ったものであったが、昭和二十年には、既にそれが戦災を受け焼失してしまって、今は跡形もない。痛ましいことである。左手の「弘道館」は旧水戸藩当時、日本最大の藩校(総合大学校)であった。現在の建物のうち、正門、正庁、至善堂(諸公子の勉学所で、将軍徳川慶喜も幼少の頃、教育を受け、大政奉還後、水戸で謹慎した部屋)が国の重要文化財に指定されている。

この弘道館は文武両道の教育機間であるが、医学・薬学(医学館の併設)、天文学(天文台の設置)、そして蘭学と幅広い学問を探求していた。そのなかにあって常州医薬学の希望の光りが、現代・未来までも届けよとばかりに既に燦燦と放っていたことを文献から同志の立場でみる限り、そのように認識されずにはいられい。

さて、前述してきたなかに、常州の秘方ではないが、外科倒しの「伯州散」(はくしゅうさん)に関心を示す興味津々な人々が意外と多かったので、今回はリクエストにお答えする恰好で話を進めてみたいと思う。

この伯州散は黒焼という三種類の薬材(これを三味という)の粉末を等分に混合したものであるが、先ず黒焼というものは、未知の部分が多く、合点のいかない得体の知れないものである。しかし全て経験則なので臨床的に成果をあげているものもあり、侮れないところがある。

最近は薬局店内禁煙の運動を進すめている最中、多少、不謹慎ではあると思うが、黒焼の具体的な例として、紙巻タバコのことから話を進めてみたい。以前は何処の家庭でも一人位は喫煙を習慣としている人がいたので、理解されると思うが、初めタバコに火を付けると、一種の薫蒸状態になり、タバコをのむ人(術者)はその煙を吸引して嗜むわけであるが、その際、タバコの先の火種部分をみると火が完全に回って空気の供給が十分な部分(完全燃焼)と紙周辺の空気抵抗と外気温との接触面のため部分的ではあるが、空気の流通がやや緩慢になるのと燃焼温度低下によって紙などの燃焼部分が黒っぽく残る(不完全燃焼)ところも出てくる。完全に白く残った灰ガラ(これは白焼に該当)はタバコ盆(灰皿)に落される。漢方でいう白焼とは、ある疾患に対応する特殊性のある有効成分を残す所謂「焼いて性を存す」という目的があることで、廃棄物であるタバコの灰とは相違する。

黒焼きは、このように物質を完全・不完全燃焼するテクニックの原理を応用して、程度により、物質の有効成分を加熱加減等の調節による固体有機成分等を気体成分等に変化させ(これを熱変という)、これを身体に治療薬として利用するという一種の生活の知恵であった。ずっとずっと遠い太古(おおむかし)時代の話となるが、日本と中国大陸は氷河期の最寒冷期には地続きであった。人類は、動物の後を追いながら、食糧を求め、あるいは遥かなる太陽の仄かな明かりを求めて次第に東へ、一人、二人と移動し、住みついた。

そのころの人は衣食も単独でし、動物と一緒に行動し、生活していた時代である。やがて火を使うことを覚えるようになり、文化の交流が進み、社会が進歩して、多くの人々と係り合いが出て、精神的・肉体的にストレス(苦痛や刺激)が加わると、古代の世でも、一種の心気症となって、身体の生命の原動力である元気が、消長し、目減りし、最後に異変が起こり、身体の防衛機構を危ふくし、最後にはとうとう破綻まで来たして種々の病気(万病)に侵される。

そして、やがて病気が骨髄まで達し、遂には治らない人ができてしまうところまで陥る。こうなってくると病気は呪い(まじない)では防ぐことは出来なくなる。即ち、精気の移変を防御できるのは優れた薬草治療文化が頼りということになる。移住した最初の古代人は野山を駆け巡った狩猟民族であった。

やがて縄文時代になって氷河期に積もり積もった大規模な氷河・氷雪が気候温暖化により「縄文海進」と称される現在の海抜より五乃至六メートルは遥かに超えて海面が上昇し、内陸地まで深く波が打ち寄せられ、そして波打ち際が迫っていたことは貝塚の分布から分かっている。そのピークはいく度か訪れたと云うから、先祖は大変な時代環境を生抜いてきたものだと舌を巻くほどである。

不利な生活環境で知恵を絞りながら、既に、火で「暖を摂る」ことを覚え、天然物資源を火の活用を通して、おいしく、かっ、無駄がないような食糧を創意工夫による調理法と備蓄のための長期保存法も発見され、その間、食べられる物と食べられない物の区別は勿論、薬草でも薬となる物とならない物を自然と体得されていたのではないだろうか。本邦には黒焼を始めた年代の記録がないので未詳であるが、調理方法も野外燃焼行為が主流であると考えられるため、動植物を簡単に安全に調理・加工し、身体に負担が少なく摂食できる医食同源としての黒焼の存在もあったとみたほうが自然体であると思う。

記録に残る黒焼の最初は「古事記」(こじき)という日本最古の歴史書にある「赤貝の黒焼と蛤貝汁」で構成され、大国主命が災難に会い火傷したときの塗り薬であることは既に述べたとおりである。

しかし黒焼のルーツと云えば遠く中国大陸からの伝承であることは歪めない事実でもある。それはなぜか。
それは中国の唐時代に孫思邈(そんしばく)という神仙家の医師の著した「備急千金要方」(びきゅうせんきんようほう)に多くの黒焼を見出すことができるからでほかならない。

一説によると織田・豊臣時代、あるいは室町時代末期には医家が使用されたと推量しているが、私が研究資料としている「大同類聚方」(だいどうりるいじゅほう)という大昔の平安時代初期(808年)平城天皇(へいぜいてんのう)の勅撰書(みことのりによってできた本)には日本で経験された集大成(本朝経験)にも黒焼に関した薬方が垣間見られる。

前述の「紙巻タバコ」の例を挙げて思い出したが、私がまだ小学生の頃、頭髪を短く狩り込んだ、所謂いが栗頭の天辺ちかくに、円形状の「しらくも(白癬)」ができたときがある。
この時、医薬品も無い時代に、私の祖父はなにをしたか。これは私の個人の自験でもあるのだが、今思えばタバコの黒焼の応用として治療の目的を、きっちりと果たしたのであった。

昔のことであるが、刻みタバコの喫煙に使う道具「煙管(きせる)」というやつがあった。今では骨董屋あたりにある代物である。この「煙管」を掃除してくれる大道芸人ならぬ大道職人がいた。朧気ではあるが、多分、「らおとおし屋」と呼んでいたような気がする。これは、肩から吊り下げる位の小箱を抱え、それには炭火による水蒸気発生装置を備えていたように記憶する。僅かな水蒸気によりピィーピィーと発生装置の先端の笛子から音を発し、街角の路傍で、各家々から頼まれた煙管に詰まった「タバコの脂(やに)」の掃除を請負うのであるが、子供ながらその仕事の見物をしていると、そのどろーっとして粘った様な「タバコの脂」には驚かされた。これと同じ原理で、囲炉裏端の炭火に煙管の先端の刻みを詰め込む金属部分(=烟袋と書き、「キセルノガンクビ」と読む)に少し水を差した状態にして、そっと置き、ある程度加熱して、煙管の脂が溶け出したら、患部の髪を短く刈ったところに抽出した所謂イヒチオールのような色の「タバコのタール状物質」を塗布し、煙管の先端の刻み詰め込み金属部分(キセルノガンクビ)が皮膚の温度のとき塗布面を煙管の底で摩り、固定するようにする。そうすると患部がポカポカと温かく大変気持よくなり、塗布している間は多少タバコ臭さはあるが数日位で治ったように記憶している。これなどは「焼いて性を存す」の典型であろう。

今日、改めてこの治験について文献の調査をしてみると小泉著「黒焼の研究」という本に「毒蛇に噛まれたのを療する方」として、「烟袋(キセルノガンクビ)を熱く焼き、油を滴し、之に搽(た)す。百試・百効」とある。煙管の脂の溶出液に水と油の相異はあるが、極めて類似の応用例であり、全くの驚嘆に値する。昔の人はよく知っていたものだと、つくづくと感心させられるものがある。

さて、本題の「伯州散」(はくしゅうさん)は、一名、敗毒散ともいい、「傷寒論」(しょうかんろん)「金匱要略」(きんきようりゃく)という漢方医学の聖典の不得意部分をカバーした薬方であろう。

それは江戸中期の日本漢方の古方派(「こほうは」と読む、日本漢方の流派の一つ)に属する医家で、異なった視点を持っていて頭角を著した雄に吉益東洞(よしますとうどう)がいるが、その東洞はこの薬方を吉益家塾方として薬籠に入れていたことからも推察できる。 この「伯州散」は乃(=即ち)大同類聚方・伯耆薬(ほうきやく)である。処方内容は「蝮蛇、蟹、鹿角」の三味で、各々を別々に黒焼にして、等分に混ぜ合わせ、一日三回、九分ずつ、酒で飲むとある。

治療目標は毒腫(諸毒による腫れ物)又は膿のある者である。吉益東洞は山脇東洋(やまわきとうよう)に認められ、その後、名声を博したのであった。その山脇家には「山脇家八十二秘方」という秘蔵薬方がある。その七四のところに「排毒散」があり、同じ様な「癰疔(悪性のできもの)を潰し膿ませる方」で、「即ち伯州散」とある。しかし処方内容は四味と異なる。異なる個所は薬味では「好沈香」(こうじんこう)が加味され、これは黒焼にしないで乾燥して粉末とする。服用量は毎服五分あるいは一銭で、用法は白湯で飲み、温酒なら、また佳とある。この加味された好沈香(=沈香のこと)という気と水を捌く生薬(しょうやく)は、気の滞りと水の滞りの渋滞を緩和させるように血管中に活気を漲らせ、細胞のダメージに賦活化を与え、津液(リンパ液など)の老廃物交換により解毒を昂め痛みを止める働きがある。また、他に吉益東洞出典の方中の「伯州散」には「沈香」の加味するものもある。

この伯州散は江戸時代の実用的臨床指導書の「医療衆方規矩」(いりょうしゅうほうきく)にも三味(角石「カクセキ=鹿角」焼・津蟹「ヅカニ=蟹」黒焼・反鼻「ハンビ=蝮」黒焼)で載っており、「癩風ヲ療スル薬ナリ又癰疽(ようそ=化膿性腫瘍)及ビ無名ノ悪毒腫ヲ治ス」とある。 伝わるところでは、杉原伯耆守家方により伯州散と名付けたとあり、この薬方の出自は伯耆州(=伯州、現鳥取県の一部)の民間で、旧名は黒龍散という。  黒焼には黒焼と白焼があることは既述した。黒焼の一名は霜(そう)といい、これは無機物質(鉱石)を容器に収め、密閉して熱灼すると、鉱物の種類によりガスを発生させ、鉱物が気化する。低温になる段階で、鉱物性雰囲気ガスは冷やされ、上蓋に昇華物という綺麗な結晶体が付着する。丁度、その様が霜が降ったようにみえるので鉱物に限らず、動植物の黒焼の異名も「霜」というようになった。

したがって鹿角焼は鹿角霜、蝮蛇黒焼は反鼻霜、蟹黒焼は蟹霜とも書く。誰も経験済みであると思うが、物理的にみた可燃性物体の燃焼は直ぐ消火すると、焦げ目が付く程度だが、少し加熱時間を置くと、黒焦げとなり、完全に燃焼するにつれ、やがて、物体の色は黒色から白色の燃焼過程と移行し、最終的には燃え滓となるが、これを化学的な目からみると、木炭にしても、獣炭にしても黒焼は黒色の炭までもってこなければならない。黒色の炭は炭素(カーボン)といい、大変な吸着性を持っていることで生活面に様々な応用がみられてご存知のことと思う。医療面では有毒物質中毒等の吸着・解毒、癌性潰瘍汚液、膿汁、壊疽、膿腫、伝染性下痢の脱臭作用、あるいは創傷の撒布、防腐作用、また水道用原水の水質浄化、脱臭など、その他工業方面等に用途が非常に広い。

有機物の黒焼は炭素部分を除けば残渣はミネラル部分と熱変した乾留部分のタール物質になる。ミネラルにはリン酸カルシウム、炭酸カルシウム等の石灰、苦土、カリウム・ナトリウム塩類があるが、その中で注目するところは「カルシウム」の効用であろう。昔は内用と外用に多く使用例があった。内用には胃酸過多症による胸焼け・げっぷ、慢性嘔吐、慢性下痢、小児下痢、胃潰瘍などや、酸類中毒等に用られ、外用には皮膚疾患に基づく分泌物制止目的で火傷、表皮剥脱、乳首創傷、湿疹等に用いられた。しかし動植物界にはいろいろな種類があって含有するミネラル質(無機質)も千差万別で、これのみでは決まらないところがある。伯州散の成分のなかの鹿角の黒焼は動物の骨の部分に該当する。

それ故、黒焼でも一層熱灼して、芯まで完全に焼き尽くした「白焼」と称する製法で決める。日本の医学が蘭学に傾きかけた頃の書、「遠西医方名物考」によると、その主成分はオランダ語で「ポスポルシュール・カルク」といい、まさに「リン酸カルシウム」である。効用は胃腸疾患の制酸作用、諸止血等の収斂作用、血液中の強い疫(癩)毒による諸症を治し、発汗して疳虫を殺するなどを主治する。単味の鹿角霜(黒焼)の臨床応用例からは強壮・防腐・排膿の作用があり、瘡腫の排膿剤として、乳房、子宮の硬結、癌腫を消散させ、産後血暈、打撲C血の痛み、竹木刺し傷で肉に残留のものなどが挙げられる。

次に蝮蛇と蟹の場合は、炭素・無機質(ミネラル)と乾留部分に期待できるので一般動植物に適用する普通の黒焼と称するものとなる。
この場合は焼いて灰分(かいぶん)ともなれば、灰分中にはカリウム、ナトリウムなどの塩類も多く、カルシウムと相俟って、必須栄養素となり、生理作用の平衡バランスが保たれ、円滑な代謝機能が働き、疾病の治癒に繋がるという効果もでる。

また、これを黒焼にすると、異臭が立ち込めるので、臭気中にはタール状物質が含有することが予想される。過去に、木材の乾留により生じた溜液はクレオソートを産み、魚類の残骸が残る燃土石の乾留からはイヒチオールを見付け出し、米糠の薫焼した乾留の溜液を精製し、皮膚病に応用されるビチオールというタール成分を見出したなどの例を考える時、黒焼という全体像の中で各種の有効成分が適切に含蓄されるこの一剤が、場合によっては、理論漢法の医案によって構成された複合作用による配剤の一剤に匹敵し、副作用がなく、緩和的な働きで効を奏する特徴を有してくるのかも知れない。

蝮蛇(反鼻)霜は、癩疾・瘧(マラリア様症状)・寝小便・脱肛などに、その他、疔腫(フルンケル)・悪瘡(悪性の腫物)・骨疽(付骨疽)などにも応用がある。

蟹を焼いて性を存した黒焼(霜)は黄疸や花柳病(淋疾・梅毒等)・リウマチによる熱疾患、蟹中毒の解毒、婦人血崩で腹痛する者や慢性の硬結腫物を消滅させるなどに応用がある。

この伯州散の薬味のキー・ポイントは、原材料の選品も大事であるが、蟹・蛇・鹿角それぞれを別個に「焼いて性を存する」調理(修治)方法の良否がその薬効に重大な影響を及ぼす。

動物でもこの奇妙な獣類・蛇類・魚介類という三種類の良質な霜の組合せの組成は鹿角白焼、蝮蛇黒焼、蟹黒焼となり、この蟹はモクズカニ(藻屑蟹)といい、帯濠倹Fで主として河口に生息する中型のカニである。この薬方の機能を示してみると、鹿角(温)―蝮蛇(温)―蟹(寒→温)の関係となり、三位一体で協同促進し、薬効を強め、内托升焔(ないたくしょうえん=虚証の腫瘍等の膿を排して病巣を治療し、肉の盛り上りを促す)の作用があり、補托(ほたく)という膿巣を排毒・滋養する効が出現する。
昔の臨床応用には、膿の排出困難な諸瘡や腫毒で膿がある者、無名の腫毒一切を治すことや、腫れ物一切・悪毒無名瘡を治し、膿を消すとある。

そして江戸後期の外科医で麻酔剤を考案して外科手術をし、漢方軟膏の紫雲膏(しうんこう)を創製した華岡青洲(はなおかせいしゅう)曰く「この方は化膿した後に用いては効果がでない。膿がなければ腫れを散らし、少し膿があれば、急に膿む。患部が上部にあって乳癰(乳房のできもの)などの類、疼痛甚だしい者には川芎(せんきゅう)を加える。患部が下部にあれば大黄(だいおう)を加えて用いる」とあるので、薬方運用上、大変な参考となる。

しかし、石原明は青洲とは見解を異にし、「漢方精選百八方」で次のように述べている。「内服の場合、開口して膿汁が排出すべき状態になければ使用してはならない。遅きに過ぎて無効なることはなく、急性炎症症状が残っている時期にはかえって悪化する云々」とある。

したがって目標は慢性・亜急性の化膿性の腫れ物、潰瘍などで、体力が低下し、排膿状況不良で、かっ、肉の盛り上りも悪く、痛みがあって精神不安があるものである。

外用では粉末のまま散布すると、軽い切り傷ぐらいなら止血や化膿予防によい。また肉の盛り上りの悪い傷面には親水軟膏や紫雲膏に練りこんで軟膏として塗布する。肉の盛り上りが速いため黒焼が皮膚組織内にそのまま残ってホクロのようになることがあるので、特に女性の顔面などの外傷等に適用するのは避けることが肝要かと思う。

この方は日本固有の薬方であるが大同類聚方収載の創薬者等が身元不祥である。しかし、古方派の医家はこの方を兼用方として実践に活用し、その実用価値を見出し、薬方が高い評価を受けて、漢方外科の常備の処方に採用されたのである。金匱要略の「排膿散(はいのうさん)」は実証(体力のある者)を対象とした攻撃的な薬方であるのに対し、伯州散は補薬という効果の利点を期待して、応用面では、主として兼用方とすることに着目し、古方派医家の薬籠中に組み入れたのであろう。

他に千金内托散(せんきんないたくさん)という薬方は皮膚に潰瘍症状があり、じわじわと分泌物が止まらず、肉の盛り上りに欠ける者に応用するが、これとの兼用や江戸時代の漢方医書・類聚方広義(るいじょほうこうぎ)に収載する吉益東洞合方(ごうほう)の「排膿散及湯」(はいのうさんきゅうとう)という局所化膿症対象の薬方との兼用例もある。

一般家庭でみられる症状としては、皮下の膿瘍、るいれき、癰、疔などであろう。優れた本方ではあるが実際の適用にはその時期の判断も係わってくるから、薬能の長所短所をよく理解したうえで症状毎のケースに慎重に対処する必要がある。

…以下略

『無門』第4号(2005.1.25)より

HOME > 無門 > へ戻る


Copyright© 2006 KENICHI TSUKADA All reserved.

Valid HTML 4.01 Strict Valid HTML 4.01 Strict