随証治之は疾病治療の根幹なり

さてここからは漢方の聖典である『傷寒論』の基礎概念について述べていきます。先ずはその始まりとして証(しょう)について説明します。

証とは証明、証拠の証で、「あかし」という意味があります。西洋医学では病(やまい)を病名で分類しますが、漢方医学では証で分類します。元々証は『傷寒論』独自の概念です。実は漢方にも病名的な分類はあったのですが、今では副次的なものになり、漢方では病の本態は、証という概念で捉えるようになりました。漢方が病をどのように治していくのかといえば、証に随いて之を治すという随証治之(ずいしょうちし)という方法を行います。

漢方が全盛の頃は、今のように検査機器のない時代ですから、疾病の状態を知るには、主に患者の身体外の変化で探るしかありませんでした。これは何も患者自身の自覚的な訴えだけではなく、術者から見た他覚的所見も含まれますので、術者は常に五官を研ぎ澄ませておかなければなりません。これらの所見を漢方的なものさしで推し量り、類似したものどおしを整理統合し、これを実際に薬方で効果を証明していったものが、証となるのです。

『傷寒論講義』(奥田謙蔵)の緒論では、「証」を定義するにあたって、次のように説明しております。

証とは疾病の証拠なり。即ち身体内に於ける病変を外に立証し、以て其の本体を推定し、之を薬方に質すの謂なり

この解釈は我々漢方に携わる者にとっては、一つの立脚点となる言葉であります。特に最後の「之を薬方に質す」の一句が漢方、中でも『傷寒論』を学ぶ上では大変重要で、実際にその薬方を原典に忠実に再現して使って、初めて証の適合は確定されます。

この証は、更にその病を治療する薬方名と直結します。具体的に言いますと、たとえば葛根湯証といえば、葛根湯を用いる証であり、出典の『傷寒論』では「太陽病、項背強ばること几几、汗無く悪風する者、葛根湯之を主る」とあります。これは肩や首、背中が異常に凝り、汗をかく気配がないという状態です。後ほど説明しますが太陽病の特徴である、脈が浮いている浮脈であること、実証の特徴である力のある脈であること、これらがことごとく揃えば、病名の如何を問わず、葛根湯証であると判断でき、葛根湯を使用します。もしこの時肩や背中がしっかと凝っていても、汗が既に自然と出ていれば、葛根湯ではなく、桂枝加葛根湯を用います。『傷寒論』では「太陽病、項背強ばること几几、反って汗出で悪風する者、桂枝加葛根湯之を主る」とあります。つまりそこでは葛根湯証ではなく、桂枝加葛根湯証になるのです。更にそこにもってきて、脈が沈んでいて遅ければ、今度は栝蔞桂枝湯(かろうけいしとう)という薬方になります。出典は『金匱要略』になりますが「太陽病、其の証備わり、身体強ばること几几、脈反って沈遅なるは、此れ痙と為す、栝蔞桂枝湯之を主る」とあり、その患者は栝蔞桂枝湯証を呈していることになるのです。この三薬方の症候の違いは、一見瑣末なことに思えますが、薬方証として見るととても大きな差であり、その鑑別の有無は、治療の成果に関わります。

漢方は証に基づいて薬方を決定する医学であり、その証を理解する上で出典となる古医書を読むことが大切となるなのです。

 
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