薬徴

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〔画像/『近世科学思想 下』岩波書店

古方派の先哲が目指したもの

 

古方派の先哲の著作を読み、各人の歩みを見ていくと、薬方を縦横無尽に使いこなし、病気を治すことは、漢方家として一つの到達点でありますが、その先に目指したものは、薬方を構成している一味一味の薬味(生薬)の薬能(効能)の解明にあったようです。

薬能の本としては、中国においては既に、『神農本草経』や『本草綱目』などといった本草書が存在し、当然日本にも入ってきていました。しかしこれらは、当時の神仙医や陰陽医の妄説が入り込んでいたため、古方派の先哲達は、それをそのまま盲従しませんでした。敢えて自らの治験の中で、実事に基づいて再検討していきました。そんな過程で生まれたのが、吉益東洞の『薬徴』(やくちょう)であります。

先に東洞は『類聚方』を上梓しましたが、傷寒金匱の薬方を見ていくと、ある症候群に使われる薬方に共通する薬味を見出すことが出来ます。そこからその薬味が傷寒金匱でどのような目的で使われているのかを解明しようと試みました。
一例を挙げると滋養強壮で、巷でもてはやされている人参(朝鮮人参)があります。傷寒金匱の中でもこの人参を使った薬方が出てきますが、東洞はこの人参の薬能を「心下痞堅(しんかひけん)、痞鞕(ひこう)、支結(しけつ)を主治するなり」と述べています。心下痞鞕とはみぞおちの辺りが硬く痞える感じであります。東洞は人参が配合されている薬方を聚(あつ)め、その目標を帰納的に調べていった結果得た結論でした。その立論は誠に革命的で、当時蔓延していた「人参は万病に効くのであって、とにかく人参さえいれれば元気になるのだ」という人参神話に、一石を投じました。ですから古方では、人参が主となる薬方を用いる場合は、先ずみぞおちの辺りの痞えの有無が、鑑別の決め手となります。

このように既存の説にとらわれず、独自の調査と考察で、漢方薬の処方構成の謎に迫ろうとした、東洞翁の苦労は並大抵ではなかったようで、七回も稿を改めましたが、ついぞ完成にまで到らなかったと書いてあります。そこでその弟子たちが、後を受け継いでやっと完成しました。前述した『類聚方』と同様に本書もその後門人によって類書が流布し、村井琴山は『続薬徴』を、嗣子吉益南涯は『気血水薬徴』を著しました。尾台榕堂も『重校薬徴』を残しています。

さて次回からは、漢方の聖典である『傷寒論』の内容について述べていきます。

 
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