傷寒論

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〔画像/『傷寒論講義』奥田謙蔵〕

漢方の聖典

『傷寒雑病論』は現在『傷寒論』と『金匱要略』の二書に別れて伝わっています。傷寒論は変転極まりない熱性急性伝染病(傷寒)の治療法をまとめたものであります。しかしその治療方法は、急性症のみならず実に万病治病の亀鑑となる書であります。 古方派にとって漢方は傷寒論に始まり、傷寒論に終わるといっても過言ではありません。昭和20年代の調査で、日本に於ける傷寒論研究書は書目だけで既に500種を越えていたそうで、この数字を見ただけでも日本において傷寒論がいかに重要であったかが分かります。現在はさしずめこの数倍から十数倍の数になっていることでしょう。漢方医学はすなわち傷寒論医学であるといえます。

傷寒論は研究すればするほど、そしてこれを実地に試みればみるほど、その症候と治法、各薬方の組成及び分量比の厳密性に驚かされます。それだけでなくそれを記述している条文の一字一句の重みといい、組成構成の緻密さといい、まさに驚嘆に値します。
これは傷寒論の作者たち(張仲景一人の作とはとても思えない)が、いかに明晰な頭脳と優れた洞察力を持っていたかということの証左であり、本書を作り得た古代人が当時の物質文明思想に煩わされない、優れて精神的志が高かったかを示すものと言えるでしょう。実に奇妙な書であります。

その片鱗は冒頭の一字でも知ることが出来ます。
傷寒論は各篇の篇名を「弁」の一字から始まります。「弁太陽病脈証并治」とか「弁陽明病脈証并治」といったように。ここでの「弁」は、弁別(違いをわきまえて区別すること、識別すること)の弁であり、弁証法の弁であります。傷寒論は前後の条文を対比し、弁別していくことで、病証の経過、軽重の別を時系列で浮かび上がらせています。同一の病位であっても、病情の主客、聚散、動静によりて、主方として対応する薬方がそれぞれ個別にあることを弁じ、さらに同一の薬方においても、一味の加減方によってその病状の本方と転変(てんぺん)あることを詳(つまび)らかにしています。そのほか汗、吐、下の治法にて、諸々の変証壊病にいたるまでも弁じつくしています。そうしたメッセージを冒頭のこの「弁」の一字に込めているのです。

もう少し具体的に述べますと、傷寒論は太陽病篇から始まって陽明病篇、少陽病篇の順に記述されています。病邪が体表位に宿る太陽病篇を始めにあげ、次に対極の裏位に宿る陽明病篇を述べた後に、その中間である表裏間に宿る少陽病篇を持ってきています。実際の急性の熱性病は、一般的には体表の太陽病から発症し、太陽病(三日間)→少陽病(四、五日目)→陽明病(六、七日目)と進行していきますので、並の感性であれば太陽病篇、少陽病篇、陽明病篇の順に記述されるべきです。それをそのように篇を組まなかったのは、白黒をはっきり対比させることで、その中間部を明確に分かるようにしたのです。これなどは正に傷寒論独特の筆法であり、表と裏を対比することで、その中間を弁別させるというまことに用意周到なる組成構成になっています。また太陽病篇では、太陽病の提綱(第1章)を述べた後、良性の中風(第2章)、悪性の傷寒(第3章)それぞれの大綱を続けて述べることで、病の良悪の二面性を弁別して傷寒論全体の大意を著しています。

それ故わが国の先哲も傷寒論には最大級の賛辞を送っています。たとえば江戸時代の名医である宇津木昆台(うつきこんだい)をして「天地ありてより以来、未だかくの如き妙文を見ず。聖作にあらずんば誰か」と言わしめていますし、私が私淑している奥田謙蔵先生も著書『傷寒論講義』の最後を「その編章の組成論述の周到、古聖人にあらざれば誰か之を能(よ)くせんや」と結んでおります。傷寒論に精通し、かつその真面目を見いだせた碩学のみが発せられる言葉であります。


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