黄帝内経

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〔画像/黄河文化圏の地域〕
 
〔画像/黄帝内経の成立〕

鍼灸の発明と陰陽五行説ー黄河文化圏

『黄帝内経』(こうていだいけい)は中国伝統医学の根幹をなす聖典であり、特に針灸医学の方面で軌範(きはん)となる書であります。秦・前漢の時代(紀元前202〜後8年)の作とされていて、『漢書』(かんじょ)の芸文志(げいもんし)(前漢時代の図書目録)に既にそれらしき名前がありますので、そのころには存在していたようです。著者は不明でありますが、中国古代の伝説の人とされる黄帝(こうてい)が臣下の六人の名医との問答体で著されています。

黄河文化圏を形成した種族の祖先は遊牧の民でした。気候の変化がはげしい不毛の乾燥した土地に牧草を求めて転々と移動していましたから、薬になるような植物を求めることは不可能に近かったことでしょう。それ故疾病の治療にあたっては、身近にある石器や骨器で刺戟を加えたり、鬱血や膿汁を除くために出血をさせたり、また必要に応じて火熱を加えて苦痛を緩和したものと想像されます。
そしてこのような経験がしだいに集積して、ついに身体の特定部位における刺戟点を見出した。これが「経穴」すなわち「ツボ」の発見です。後に金属文化が発生すると、今度はきわめて細い金属鍼が用いられ、やがてツボとツボのあいだを結ぶ「経絡」を知ることになります。この発見こそは、黄河文明圏最大の収穫であり、今日の鍼灸医学の根幹をなしているものであります。黄河文明圏の種族だけが経絡現象を発見しえたのは、ほかの文明圏では、細い金属鍼で体表を刺戟する療法を行わず、主に薬草などを用いた療法に頼っていたからであります。

また日常生活が常に自然の脅威にさらされて生活している遊牧民族は、自然現象にとても敏感でした。このような環境から、天体の運行、季節の変化などの知識が豊かとなり、自然と人体の関連を融合的に考えるようになり、それが自然哲学へと発展しました。
この自然哲学は、自然現象と人体の生命現象の相関を論じ、大宇宙と小宇宙の対比を説く「天人合一説」から展開し、万物を相反する二要素の立場で認識する「陰陽論」となり、さらにあらゆる現象を「木・火・土・金・水」の五要素の連鎖的相対(相生・相剋とよばれる)による質的平衡で論じる「五行説」が発生しました。黄河文化圏の医学理論は、これらの自然哲学の背景で強化され、漢代になってそれは『黄帝内経』(こうていだいけい)という文献で成立しました。

〔画像/『意訳黄帝内経』

『黄帝内経』は医家必読の根本文献とされていまして、日本でも医学教育に用いられてきました。この『黄帝内経』の原形に近いとされる伝本が、実はなんと日本にありまして国宝として保管されています。『黄帝内経』の現存するテキストは『素問』(そもん)『霊枢』(れいすう)『太素』(たいそ)『明堂』(みょうどう)に分けられますが、中でも中心となるのは『素問』と『霊枢』です。『素問』は生理、病理、環境衛生、養生法について論じた医学概論で、哲学的論述が多くなっています。一方『霊枢』は、解剖、生理を説いたうえに、鍼による治療法(鍼術)を詳述したものです。特に陰陽五行(いんようごぎょう)、気血栄衛(きけつえいえ)、臓腑経絡(ぞうふけいらく)の説が基本となっています。たとえば『霊枢』によれば、五臓六腑(ごぞうろっぷ)には十二の原穴(げんけつ:元気の象徴となる経穴)があり、疾病がある場合はここに反応があらわるなどといったことが書かれています。

この『黄帝内経』の理論は、内経系医学ともよばれ、五行説などとともに日本では鍼灸のみならず、後世方派医学の源流となっています。したがって後述する『傷寒論』を基礎とする古方派よりも、その支持者は多数を占めており、影響力が大きいようです。

内経系医学は疾病の本態を病因や病論でもって探究しようとしています。


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