類聚方広義

嘉永六年(1853年)安政三年(1856)、尾台榕堂により刊行。因みにこの年はペリー浦賀来航の年。吉益東洞の『類聚方』と『方極』を合わせて記載し、頭註に榕堂自身の考えを記している。画像は冒頭の桂枝湯の部分で、有名な句である。
「桂枝湯は蓋し経方の権輿(けんよ)なり。傷寒論の桂枝湯に資始し、雑病論の栝蔞桂枝湯に発端するは、必ず偶然に非るなり。斯の書の方を列するや、亦桂枝湯を以て衆方の嚆矢(こうし)と為す。仲景の方は凡そ二百余首、其の桂枝を用ゆる者、殆ど六十方、其の中桂枝を以て主薬と為すもの三十方に垂(なんな)んとす。是亦以て諸他方に比し、変化最も多きを見るべし。」