『無門』発刊を祝して
伊藤敏雄
(東京都中央区 ウチダ和漢薬)

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御縁があって、北茨城の田畑隆一郎先生が年に一度か二度、御自分達の勉強会、温成塾や無門塾の会合に呼んで下さる。その席の楽しさは一日の勉強会の終った後の懇談の席である。

…中略…

勉強会のあとの席は、常陸沖でとれる魚の刺身、焼物、煮物の他、メインは鮟鱇鍋で、鮟鱇の肝を擂りつぶし、鮟鱇の切身と野菜とを入れた鍋の味は濃厚で絶品。席は大いに盛り上り、私の酒も大分すすんだ。

田畑先生と杯を酌み交はしながら、私は酔った勢いで、「温成塾、無門塾にこんな素晴らしいスタッフが揃っておられるのですから、御自分達で勉学を深めてゆかれるのは結構ですが、機関誌を発行なさってはいかがでしょうか。塾生の方々が漢方について執筆という形で対外的に発表なさることは、その方の勉強の一助にもなりますし、この北茨城の地から全国へ向けて有益な漢方の諸情報を発信出来ることは素晴らしいことに思えます。当初からあまり負担にならぬよう、年何回かでもよいと思いますが。」酔っぱらって理性の箍の外れた口から失礼をもかえりみずこんな提案を申し上げたことは覚えている。田畑先生はこの酔漢の提案をどんな風にうけとめてくれていたのであろうか。

此度、突然、温成塾の塚田健一さんからお手紙をいただき、季刊誌「無門」を発行することとなったので何か原稿を書いて送れとのご依頼状が届き、驚くとともに、何か心の底から湧いてくる嬉しさがあった。あの平潟の夜の一酔漢の勝手な発議が多少刺激剤的役割を果したのであろうか。

古来「水戸っぽ」という言葉がある。間違いは承知で言はしていただくと北茨城県人を総称しての表現で、その持っている県民性をこの一言で表しているのであろうか。幕末の殿様、最後の将軍徳川慶喜の父、徳川斎昭。又、水戸藩の天狗党の面々、時の大老を襲った桜田門外の志士達から、近年の政治家自民党幹事長を務めた梶山静六、又、何大臣かを務めながら若くして急逝した塚原某氏まで、何か普通の人にくらべて大義に望んで血が騒ぎ、じっとしておれなくて行動を起こすようなところがみえるのは私の偏見であろうか。しかしその行動が良くも悪くも世の中を変えてゆくのである。以上は私の独断で失礼の点は重々お詫びしなくてはならない。

この度の季刊誌「無門」の発刊は、あまりにも多い情報の氾濫のなかで混迷に落ち入る恐れのある日本の漢方の中で一旗幟を建てられるため、「水戸っぽ」の気骨もみせてほしいとは、門外漢の私の密かな願いである。

『無門』創刊号(2004.4.5)より

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